遥か昔から利用されていた茶は、はじまりの地とされている中国から次第に周辺へと広がっていきます。
それは経済的にも重要な役割になるほどのものにもなったのです。
広がり、伝わる茶

茶はどのように広がり、伝わっていったのでしょうか。
経済的な面
唐の時代、茶は交換経済社会において、最も古く、最も大きな存在でした。
唐の中期時代になれば、国内各地で茶は消費され、課税の対象になったほどです。
“唐時代の抹茶”は、煎茶法という煮茶の一種であり、釜の中で箸でかき回す点て方で、”宋時代の抹茶”は、茶碗の中で茶筅(ちゃせん)を用いて点てるようになり、後者が日本における茶道の伝統に即しているようです。
唐時代以降は、茶を飲むことが近隣諸国にも広がります。
最初は陸路で蒙古に伝わり、それからチベット、モンゴル、シベリア、そしてカシミールへと伝わって、中央アジア、アラブ諸国コーカサス地方、北アフリカといった広範囲に伝わっていきました。
日本へは、聖徳太子が摂政となった頃(西暦593年あたり)とされ、仏教の文化が伝わってきたことがきっかけでもあります。
ただ、やはりこれも諸説あり、聖武天皇が皇居の庭に集めた僧侶たちに、読経後に与えたという説や、行賀(ぎょうが)という帰国僧が伝えたといった説もあります。

茶の流行という面で最も貢献したのは、日本における臨済宗の開祖である栄西です。
禅宗とともに、宋の禅寺の儀式と抹茶の法を持ち帰りました。
茶の種子を佐賀県神崎郡背振山に蒔き、石上茶(いわがみちゃ)と呼ばれています。
栄西は日本の茶祖としてあがめられ、茶に関する日本で最初の古典『喫茶養生記』も著しています。
語源・発音
茶の語源は、中国のミャオ族が、「Tsua ta」と呼んでいた事に由来し、そこからの派生は次の2パターンの流れが見受けられるそうです。
1)ポルトガル人「Cha」
広東省澳門(マカオ)、九州の平戸などの方言
2)オランダ人「Te」
福建省廈門(アモイ)から地方の方言
1750年ごろの英国では、CHA、TAY、TEAを併用して使っていたそうですが、19世紀後半でも、インド帰りのエリートの証として、エリートだけがCHAを使っていたそうです。

“Cha”はそのまま茶(ちゃ)となって日本語として使っていますね。
英単語のTEAはオランダ人の”Te”から、ということなんでしょうかね。
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