英国紅茶のはじまり|文化のはじまりと流行

英国紅茶 文化のはじまりと流行 tea

茶のはじまりは中国からで、18世紀頃からは酸化発酵がより強い「紅茶」(の原型)ができたとされていますが、19世紀中ごろになると、大英帝国のインドやセイロン島(スリランカ)の植民地では、本格的な英帝国紅茶が誕生し、中国に代わる影響が世界中に広まります。

今回の記事からは、英国紅茶の歴史や文化にふれていきます。

英国紅茶文化

世界中の茶生産は今や7~8割が紅茶であり、世界飲料となっていますが、紅茶の文化自体がなければ、ここまでの広がりは見せなかったでしょう。

ネットが無かった時代ならなおさらです。

文化のはじまり

英国紅茶 文化のはじまりと流行

東洋の茶そのものや喫茶文化は、ポルトガル人によって欧州に伝えられましたが、欧州人にとって神秘的であったものの、商業的な観点はそれほど重視していなかったようです。

しかし、次いでオランダの貿易商人たちによって自国に持ち帰ったところから話題となり、オランダの連合東印度会社の役員たちの嗜みから、ハーグの宮廷にも愛され、やがてはアムステルダムを中心に豪商や上層階級たちに流行していきました。

JIKUTA
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最初の段階ではまだイギリスは登場しません。
ポルトガル→オランダという順番ですね。

この頃の飲み方は、煮だす→砂糖を入れる→茶碗から受け皿に移す→音を立ててすする、というもので、色を調整するためにサフラン湯が用意されていました。

オランダが売り込む

茶そのもの、喫茶文化をフランス、ドイツ、イギリス、ニュー・アムステルダム(現在のニューヨーク)などに、オランダ人は売り込んでいきます。

大海原を超え、南アフリカの喜望峰を迂回して運ぶインド洋航海はリスクが大きいものの、利益も計り知れないものでした。

イギリスにおいて特に喫茶文化が発展したのには特徴があり、王侯貴族やジェントルマン階層という上層階級の飲みものだった茶が、新興中産階級、一般労働者階級に普及していったことが挙げられます。

俗物精神のスノッビズム、政治と経済の世界的支配、東印度会社による後押し、植民地における栽培・生産、茶道具の工業生産、エール(ビール)に代わって紅茶を推奨した英国国教会が、英国の紅茶とその文化を生み出した大きな要因たちでしょう。

JIKUTA
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オランダが売り込みをしているのとほぼ同時期に、中国の茶がロシアに陸路で遠路遥々運ばれていました。トルコや蒙古系の人々によって伝わったと考えられています。
ユーラシア大陸の西のはずれに英国、東のはずれにロシアが、まさに紅茶大国です。

英国紅茶流行

オランダから本格的な喫茶文化が広まっていったと捉えてもいい英国喫茶の文化ですが、流行の要因などをみていきましょう。

茶の流行

英国といえば紅茶、アフタヌーンティーといった優雅さやかわいらしさをイメージしますが、特徴的な面の一つに国民の習性という見方があります。

オランダが売り込んだ云々のところで、 スノッビズムという言葉が出ていますが、これは上流ぶった俗物精神、あやかり精神といった意味合いがあり、広くは恥知らず、キザ、気取り・・・etc、まぁ決してポジティブとは言えないような意味ですね。

王室を頂点に、上級、ジェントルマン階級のライフスタイルを下々が真似ること、とされています。

そもそも、18世紀はじめの欧州王侯貴族の関心事といえば、東洋の茶とその道具を買い、自宅の部屋、サロンでお茶会の真似をすることを楽しむことでした。

中国趣味を意味するシノワズリーは、東洋に対する神秘的なイメージ、文明の驚きと憧れでもあります。

JIKUTA
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いかに良いものを揃えていくか、バッサリ言えば、”見栄の張り合い“だったのだそうです(笑)

コーヒーの競争に負けていた英国

英国紅茶 文化のはじまりと流行

英国では、17世紀半ばよりコーヒー・ハウス(女人禁制)が盛り上がっていました。

しかし、オランダやフランスにコーヒー貿易、生産の主導権争いに敗れ、次第に中国茶貿易に重きを置いて、国内の喫茶普及に力を入れました。

茶はコーヒーに比べて一般家庭でも入れやすく、コーヒー豆の選別や焙煎、粉砕といった手間のかかる工程が多いのと、さらに喫茶の普及を後押ししたのがティーガーデンズの流行があったことが挙げられます。

JIKUTA
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ティーガーデンズは、老若男女問わず戸外での喫茶、着飾って散歩をしたり、音楽や踊りが楽しめた場所です。

盛り上がる英国の茶(紅茶)

英国紅茶 文化のはじまりと流行

18世紀の後半になれば、産業革命と生産性の発展で、銀や陶磁器の国産茶道具の開発、量産、安定供給が茶の需要拡大を後押ししました。

また、この頃はオランダからの安価なアルコールのジンが害を及ぼしていたようで、礼儀作法がうるさくいわれるようになり、節制や禁酒が重要となっていきました。

ヴィクトリア朝初期(1833年~1850年)には、英国国教会が「テンペランス運動」(=禁酒運動)を推進します。

禁酒の為のティー・ミーティングが各地で開催されたり、中産階級をメインに、優雅な家族ぐるみでの社交であるアフタヌーンティーの流行、定着も英国での茶の需要が増えていった要因になっています。

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