【紅茶ヒストリー】ボストン・ティーパーティーって何?

紅茶ヒストリー ボストン・ティーパーティー tea

紅茶の数ある歴史において、”ティー”とつくわかりやすい出来事としてボストン・ティーパーティーがあります。

“パーティー”とついていますが、これは事件です。

ボストン・ティーパーティー(ボストン茶会)事件

概要

ボストン・ティーパーティー(ボストン茶会)事件は、1773年12月16日、マサチューセッツ植民地(現アメリカ合衆国マサチューセッツ州)のボストンにて、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨した植民地人の急進派が、港に停泊中の貨物輸送船に侵入し、イギリス東インド会社の船荷である紅茶箱を海に投棄した事件をいいます。

茶箱を海に投げ捨てる

紅茶ヒストリー ボストン・ティーパーティー

ボストン・ティーパーティーをもっと簡潔に言えば、次第に高くなっていく税金にイラつき、そのフラストレーションが溜まりに溜まって結果的に爆発した事件です。

当時、アメリカが輸入する紅茶は、イギリス東インド会社によって運搬されていましたが、重税が課せられていました。

重税の理由は、戦費捻出のためであり、イギリス議会が紅茶の税制を何度も改定していくたびに高くなっていたそうです。

しかし、輸入する側であるアメリカ植民地住民は、イギリスの紅茶では値段が高いので、オランダの安い紅茶を密輸します。

そうなると、税収は増えません。

そこで、1765年に「印紙条令」という新しい課税制度を無理矢理押し付けたようですが、これがイギリスの商品に対するボイコットの始まりとなってしまい、翌年に条令は撤回されました。

当のアメリカ人たちの怒りは鎮らない中、イギリスは、1773年に「茶条令」なる無理矢理にでも茶を取引させる条令で、オランダからの密輸を食い止めようとしましたが、これに反発したアメリカは、同年12月にボストン港に停泊していた船に乗り込んで、茶箱を海に投げ捨てるという事件が起こってしまいます。

JIKUTA
JIKUTA

やることが欧米っぽいですね。
しかし、嗜好品とはいえ、紅茶の消費が衰えず盛んに飲まれていたことを考えれば、税金アップは純粋に嫌ですね。

アメリカ独立へのキッカケ?

紅茶ヒストリー ボストン・ティーパーティー

ボストン・ティーパーティーを実際に起こしたのは、サミュエル・アダムズという指導者、政治家、著作家、政治哲学者といった肩書を多く持つ人物を中心とした「自由の息子達」という組織で、北米13植民地の愛国急進派の通称だそうですが、当時は植民地の貿易全体の独占や本国の課税権が焦点であるにも拘らず、密輸品に比して茶税の課税後でも安価な東インド会社の茶が販売されたなら、課税権を容認することになるのでは、という懸念を持っていたようです。

この時点でイギリス本国からの独立ではなかった事だったそうですが、事件そのものは反イギリスへの足掛けとなって、各地へ広がりました。

この事件の10日後、フィラデルフィアに接近した船は襲われてしまうことを恐れてロンドンへ引き返してしまいます。

翌年にアナポリスへ入港しましたが焼き払われてしまったようです。

これがアメリカ独立戦争へとつながり、1776年にアメリカはイギリスから独立しました。

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